Your day will change the world
『あなたの一日が世界を変える』について

神様がくれた人生のハーフタイム

2004年までの私は、「心豊かに生きる」ということについて考えながら、「児童文学作品」のページにあるような子どもたちの心に届けるための作品の執筆を続けてきました。

そしてこれは、教育現場での私のテーマでもあり、学校だけでなく家庭や地域社会と共に進める「心豊かに生きる子どもを育てる」心の教育を実践してきました。さらにはCSR(Corporate Social Responsibility)「企業の社会的責任」やSRI(Socially Responsible Investment)「社会的責任投資」=(健全な社会に貢献する企業への投資)に注目し、教育関係の著書の中では、企業による「心豊かに生きる社会環境」への貢献の重要性を指摘するとともに、そのための活動にも取り組んできました。

また、2002年からは、こうした理念に基づき、鳴門市立図書館の副館長として民間(NPO法人)との共同運営をはじめとする全国に先駆けた数々の図書館改革をすすめ、さらには、保育園や幼稚園のPTA会長をはじめ、市や県のPTA組織の役員など様々な立場での社会参加や活動にも積極的に取り組んでいました。

しかし、2004年2月、私は脳梗塞に倒れました。

「人のために役立つことを」と考えて様々な活動をしていた自分が、介助なくしては食事もできないのです。講演のページにあるように、活動の場を世界に広げていた自分が、病院のベッドから起きあがることさえできないのです。昨日までできていたすべての生活が、人の助けを借り、一日のうちに何十回も「ありがとう」をいわなければできないのです。

「どんな状況であってもベストを尽くす」これがそれまでの私の信条でした。しかしそのときはというと、突然動かなくなった体と不明瞭な言葉に、(職場復帰どころか社会復帰ができるのだろうか)と思うと、挫折感と絶望感でいっぱいでした。そして毎日が生きていることの確認から始まる日々に、まるで断崖絶壁から体を乗り出して、真っ暗な崖の下をのぞき込むような恐怖感が私を襲いました。しばらくは、魂が抜けたみたいにぼんやりとして、ベッドの上でただ涙を流すだけの毎日でした。

そんな中で、私はあることに気づいたのです。状況を悲しんだり恐れたりすること、それらは生きているからこそできることなのです。さらに言えば少なくともそう考えるだけの意識はあるのだということです。

入院してからの私は、失ったものばかりに目を向けていました。しかしそれまで当たり前のように思っていた日々の生活の中に、実は多くの幸せがあったのです。ただそれに気がつかないでいたのです。動かない足をさすってくれる年老いた母の手に、幼い娘が一生懸命描いてくれた家族全員の絵に、できるだけ普段の生活のリズムを崩さないようにつとめる妻の姿に、毎日毎日励ましにきてくれる友人たちの話に、病院のスタッフの方々の気配りに、私は心からありがたいと思えるようになってきました。家族や友だちをはじめ支えてくれる多くの人々のありがたさに気づき、私は、たくさんの幸せの中で、こうして自分が生かされていることの意味や、あらためて人として大切なものは何かを考えるようになりました。

そのとき私は、あらためて、20代のころからずっと考えてきた『あなたの一日が世界を変える』ということ、そして今日が輝く10の問いかけ」にある、今日という一日をたいせつに過ごすことや、素直な心でよりよく生きること、そして人生の意味を自分自身に問いかけ続けたのです。

たとえば、それまで、私は、授業や様々な講演の中で、必ず「あなたはどんな人になりたいですか」といった生き方に関わる問いかけをしてきました。この問いかけには「優しい人になりたい」「嘘をつかない人になりたい」「いつも笑顔でいられる人になりたい」といったすてきな答えが返ってきます。それをもう一度自分に問いかけたのです。

たくさんの幸せの中で生かされてきた、そうして今この時も生かされている自分に気づいた私は、あらためて、動けない自分だからこそ、いっしょにいるだけで誰もが心の中まであたたかく、明るく、そして清々しくなる、春の日だまりのような人になりたいと思いました。

素直に「ありがとう」がいえるようになり、それから私の本格的なリハビリが始まりました。

1ヶ月2ヶ月と、もどかしさとつらさに泣きながらも、何とか歩けるようになって退院することができました。しかし、それだけではだめです。今度は上手に歩く練習や自転車・自動車の運転の練習です。リハビリのプログラムや方法も自分で次々と工夫しました。たとえば、土曜日や日曜日の人出の多いショッピングセンターに行って歩くのです。何のためかというと、人にぶつからないように歩く練習です。

そうして、退院後半年で、私は入院前とほぼ同じような状態までになりました。医師も、「30年間患者を診察してきて初めて見た」と驚くほどに回復することができたのです。医師は「奇跡的だ」ともいいました。私も本当にそう思います。しかしそれは、多くの人の温かな支えや励ましのおかげなのです。そしてそれに応える生き方をしたいと思ったからこそ、たとえ0.01%の可能性であっても、あきらめずにリハビリを続けられたのです。

振り返ってみると、こうした月日は、「神様がくれた人生のハーフタイム」であったのだと思います。私の場合、その前に、イエローカードをもらっていたのですが、これがレッドカードなら「人生」から即退場となるところでした。しかしそのおかげで、このハーフタイムが私の人生にとってどんな意味を持つものであるかに気づき、人生の後半戦について、じっくりと考えることができました。